中野区寺院のご案内 中野のお寺 ふれあい広場


<寺院沿革>

当山の始まりは、むかし、聖徳太子が諸国を巡遊された時、紫雲たなびくこの地を霊地として堂を建立し、如意輪観音像を奉安し、国家安穏をお祈りされた時にあり、その後、聖武天皇の時代に信行大僧都がこの地に来て住し、霊感によって上宮聖徳太子孝養の像を刻んでおまつりし、救世菩薩行を実践して人々を教化されたと伝えられている。それ以来、時代の流れの間に香華を捧げる浄侶もいない状態となったものの、上宮聖徳太子の名にちなむ上の山(うえのやま)の地名が伝っていた。
寛元のころ守海上人が来って諸堂を改修し、中興第1世と称せられた。また正徳年間、第16世栄雅大僧都が当地の秋元氏に生まれ、修行の末に秘法の伝授を受け、歓喜すること限りなく、本堂を改築し、法流を開基し、門前に等身大の石地蔵を造立した。
さらに天保年間、栄勝法印が客殿を建立、昭和9年弘法大師のご遠忌を記念して観音堂が改築された。
この間、中野観音といわれ遠近の人々の信仰厚く、現在に至っている。