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<寺院沿革>

当寺は慶長12年に江戸木挽町に土地を拝領し、行心和上を開基として創設し、月岬山神足寺と号した。
その後、八丁堀に、西久保赤羽に、三田村(現・港区)にと建立以来三ヶ所を移転したが、三田村においては長く聞法の場として門信徒の教法につとめたが、明治43年、当寺16代憲英住職の時、現在の地に本堂、庫裡をそのまま移転した。昭和33年には本堂の改築がなされた。
開基の行心和上は百年以上にわたる一向一揆の天正七年に、本願寺11世顕如上人、12世教如上人の二人を中心とする軍勢が織田信長の軍と戦っている時、伊豆の武士で伊東氏として織田軍に加わっていた。その時、織田の陣地に教如上人の書いた手紙が矢に結ばれて射こまれた。ちょうどそこにいた伊東氏は手紙を読んで、信長の軍がいかに誤っていて、本願寺派の主張が正しいかを知らされた。伊東氏は教如上人の意見に感服し、信長の陣をそっと去り、本願寺の味方となり、一撥の後に大谷派の僧侶となり行心と改めた。