中野区寺院のご案内 中野のお寺 ふれあい広場


<寺院沿革>

約六百年前、鈴木九郎は刻苦勉励よく一家を興した。馬の飼育販売に成功、財を築いた彼を慕って人々この地に集まり、活気ある中心村落……中野本郷をなす。中野長者と呼ばれた彼は先祖の地より熊野権現を勧請、また早世した娘の供養にと得度剃髪、小田原最乗寺の禅師に依り、正観寺を開く。社寺共境内地を十二社に定む。≪先立った愛娘への愛惜、そして観音経の功徳による救い……との中野長者縁起は中世の熊野信仰と禅佛教の普及を背景に成立したと思はれる≫
江戸初期、寺院のみ長者邸址に移し『願い成る』成願寺と改称、明治はじめ熊野神社を分離、現在に至る。その間風火災たびたびあり、B29大空襲で全山灰塵に帰した。現伽藍は木造本堂・明朝様式の三門(鐘桜堂)および長者ゆかりの百躰観音堂を特色とする。
境内には中野長者塚はじめ慶長年号の宝篋院塔、150体の石佛を含む旧家・武家の墓所があり、鍋島藩のそれは中野在来寺院唯一の大名墓地として、区史跡に紹介されている。