中野区寺院のご案内 中野のお寺 ふれあい広場


<寺院沿革>

当院は開山当時は半蔵門にあったが、江戸城構築に際し寛永年間、牛込市ヶ谷田町に転じ、さらに同所柳町に移り、明治43年、第27世・隆芳和尚の時この地に移る。
寺宝の千手観世音は木像で高さ3尺3寸。子育観音と号し、第60代醍醐天皇の御代、延喜元年、右大臣・菅原道真公が筑紫へ左遷のみぎり自ら刻みて供養礼拝した。
その後、久しく筑紫の千手坊にあったが、寛永13年、越前宰相・忠昌侯に男子出生し、ト者をして相せしむところ千手観世音の化体なりと言った。この男子、仙菊丸と言い長じて松平中務大輔昌勝となる。
また仙菊丸の母公も夢に観世音が築紫の千手坊にあるを見る。この時、家臣を築紫につかわせ越前福井の城中へ迎え、仙菊丸の守護本尊として身体安全息災延命を祈った。
その後、縁あって中野宝仙寺の14世秀雄法印にあづける。秀雄法印は中野宝仙寺より、光徳院に転住となり、尊像を守護して一宇を建立し安置した。この時より諸人の参拝を許すようになった。