中野区寺院のご案内 中野のお寺 ふれあい広場


<寺院沿革>

当寺は北條氏直の持仏、将軍地蔵を本尊とし小田原城内に創建された。後、慶長16年に江戸矢の倉に方30間を拝領し、住職法印恵誉上人は本尊・将軍地蔵を捧持して移り、殿堂を結構した。
その後、正保元年に浅草寺町に土地を拝領して移転した。以来、御室法親王の隠室となり、代々仁和寺門跡に直属していたが、時とともに衰退していった。
明治36年に松田密信僧正が当寺に住職されると、寺運の復興に尽力され、墓地を現在地に移し、一意精進されていたが、関東大震災で堂宇が全焼した。間もなく檀信徒の協力で復興し、墓地には管理所として葬祭場、客殿なども完備し、寺運ようやく盛昌となった。
昭和に入り第二次大戦の空襲により、浅草の堂宇、墓地管理所ともに再び全焼し、この時、寺宝・寺什のすべても鳥有に帰してしまったが、昭和25年には現在地に本堂を再建し、現在に至っている。
御府内八十八ヶ所第41番札所。