中野区寺院のご案内 中野のお寺 ふれあい広場


<寺院沿革>

本寺は寛永6年(1629年)玄門道幽和尚により、牛込津久土明神下・隆慶橋際に開創された。もと釈迦文院と称した草庵を一寺として建立、臨済宗妙心寺派に属した。
慶長12年、家康公が草庵に立ち寄り「終(つい)に行みちとは誰もしりなから去年(こぞ)のさくらに風をまちつつ」と境内の桜樹を絶賛して詠んだと『遊歴雑記』にある。
正保元年、境内地が上地となり市ヶ谷八幡付近、四ッ谷に移ったが、承応3年小石川小日向服部坂上に移転した。
玄門大和尚は、寛文13年4月26日に遷化するが、法嗣に竺道、雲厳、端外、雪牛、黙宗があり、旗本諸士の帰依が深く、俗に旗本寺と呼ばれていた。
とくに五代将軍・綱吉公の宰相・柳沢吉保公との関係は深く、公側室・橘染子、正室・定子夫人の墓がある。
玄門道幽和尚によって開創されて350余年、法灯は絶えることなく現在に至っている。