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<寺院沿革>

臥雲山龍昌寺は、天正六年(1578)、瑞翁俊大和尚によって、四谷塩町三丁目(現在の新宿区四谷四丁目)に創建されました。
大和尚は、曹洞宗江戸三か寺(『江戸砂子』)に数えられる、萬年山青松寺(港区)の七世で、徳川家康公の学問の師として、崇信優待を受けた高僧ですが、事実上の開山は、当山二世・頭室伊天大和尚によってなされました。
慶長元年(1596)六月二十九日、開山俊大和尚が遷化し、いらい、伊天大和尚は、家康公の命によって毎月二十九日に江戸城に登り、先師俊大和尚の供養を行うとともに、家康公をはじめ閣老たちに、為政者としての道を、法をもって説いたと伝えられています。いらい龍昌寺は、末寺五か所を有する旧刹として、寺運隆盛の一途を辿りますが、他の宗派の寺院に見られる華やかな賑いは全くなく、衆寮を有する学僧たちの修行寺として、世俗にまみれることなく孤高を持して幕末を迎えています。
慶応三年(1867)、十五代将軍徳川慶喜公によって大政が奉還されると、檀信徒家の旗本諸家や江戸に在住していた各藩士たちの離散があい次ぎ、『旗本八万騎の香華院』とよばれていた龍昌寺は、荒廃の極にたちいたりますが、瑞翁俊大和尚、普光明照禅師によってともされた法灯は、今も絶えることなく守りつづけられています。
尚、現在地へは、明治四十年に移転され、現本堂は、昭和八年、浅草の浅草寺仮本堂を移築したものである。