中野区寺院のご案内 中野のお寺 ふれあい広場


<寺院沿革>

本山は大田道灌の師であり、芝・青松寺の開山者でもある雲岡瞬徳禅師の開創になる。
享保7年2月9日、播磨龍野城主・脇坂中務少輔安清の香華院となる。
所在地は元赤坂青山北町(元・青山電話局)にあったが、明治42年現在の地へ(境内地1000坪、墓地1000坪)へ移転し、同44年これを完了した。
昭和20年5月第二大戦の空襲にて焼失したが、同23年40坪の仮本堂を建立する。
昭和46年3月には鉄筋コンクリートの現本堂及び、庫裡が完成、復興した。
墓地には、寛政年間に狂歌師として有名な朱楽管公の墓がある。