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江戸初期、駿府(静岡)の宝台院の末寺として、日本橋馬喰町に創立された。
明暦3年の振袖火事で罹災し、浅草の新寺町に移転した。
江戸中後期、庶民に親しまれた「水掛地蔵」は、江戸東方四十八ヶ所地蔵尊参りの第31番目に挙げられていたが、大正12年の関東大震災で堂宇焼失とともに3尺の石像も倒壊してしまった。
大正14年、現在の地に堂宇を再建したが、「水掛地蔵」は移すことができなかった。
昭和20年5月、第二次大戦の空襲により再び堂宇は焼失し、昭和23年に仮本堂を建築し、昭和31年に本堂の再建がかない現在に至っている。
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