中野区寺院のご案内 中野のお寺 ふれあい広場


<寺院沿革>

応永の中期、江州栗田郡駒井城主・駒井掃部介高植、次代右近大夫宗高が菩提のためこの寺を建立した。
その後、15代の子・祐念了順出家し、寛永5年に江戸赤坂一ッ木に正見寺を建立する。 
その後、江戸城外壕御用となり明歴3年に四ッ谷南元町に移転するも、明治42年に日本博覧会の開催予定により、現在の中野に再度移転した。
昭和20年、第二次大戦の戦災により堂宇は灰塵に帰したが、昭和46年本堂を再建し現在に至る。
墓地には、明和時代に江戸三美人の第一といわれた笠森お仙の墓がある。