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<寺院沿革>
| 当寺は圓通山・正蔵院・海章寺と号し、天文元年(1532年)法印賢盛によって開創された。 真言宗豊山派に属し、以前は宝仙寺の末寺であった。また、明治の神仏分離以前は神明氷川神社の別当をつとめていた。 参道入口には、享保10年(1725年)当時の川島村の人々が皆で建立した背の高い石の六地蔵尊があり、川島地蔵として知られている。 また、本堂の前の大銀杏の下には、戦没者慰霊と平和祈願のため建てられた平和塔が建てられている。これは中野区議会議長を2度つとめ、地元発展に尽力した神田勘十郎氏の建立になるもので、台石には第二次大戦で戦死した南中野地区の182名の氏名が刻まれている。 墓地には、中野長者の子孫といわれ、明治後大参事として令名を馳せた川住行教の墓がある。また、近所に境外仏堂として大山不動尊の祠がある。 |