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当山はもと地下鉄・神楽坂駅の近くにある赤城神社の隣にあったが、明治40年7月に現在地に移転した。はじめ見龍山佛性寺と号していたが、後年乾龍山天徳院と改称した。
開山は吉祥寺五世・用山元照大和尚であり、開基は加賀・前田利常 の夫人、天徳院殿であって、二代将軍・秀忠公の次女、かの千姫の妹君にあたる。金沢の天徳院、高野山の天徳院とも、その菩提を弔って院号を寺号とした。
また当院には、忠臣蔵で有名な浅野内匠頭松の廊下の刃傷の際、内匠頭を押えた幕臣梶川与惣兵衛頼照の墓がある。墓碑に、謙亨院殿閑雲古水居士・卒年七十有亡と刻んである。
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