|
||||||||||||||||||||||||||

<寺院沿革>
| 中世のはじめ江古田の本村に鎮座されていた御嶽神社の氏子・二郎左衛門(堀野氏)が武州御嶽神社の社僧源教上人の教化を受け神社の南麓に堂舎を建て、弘法大師の作と伝えられる一本彫の立身不動明王を本尊として安置し、金峰山世尊院東福寺の寺号を贈られた。 天正の頃に堂舎が焼失したが信者が協力して寛永年間に寺地を本田に移し再建し、承応4年に八間半に七間の本堂が完成した。その記念樹の銀杏が中野区の保護樹第一号として現存している。 江戸時代には三代将軍・家光公が狩猟の折本寺で休息し、八代将軍・吉宗公は御膳所に指定して休息していた。承応年間に改築した本堂内陣の左側の客殿は将軍御成間と言われ一段高い座席になっていたが、現在は解体され、その後に記念碑が建てられている。 御嶽神社の社僧から伝授された獅子舞は、江戸から大正の頃まで境内で演舞されていて、後に完成した鐘楼の鐘に江古田獅子舞の四神の図が刻されている。 昭和43年には本堂、書院、庫裡、大師堂が完成した。 |